「打テヤモロ手ヲ」 柳 宗悦
昭和54年2月号掲載。
冊子の扉部分に掲載された柳宗悦氏の筆と、私版本「心偈」よりの抜粋文です。
* * *
「ほれぼれと見守るものを、いつも目前に見るがよい。
幸これに如くものはない。
「モロ手」は両手である。
なぜ両手を打つて悦ばないのか。驚嘆しないのか。
考へると、讃ふべき光景が、如何に吾々のために、沢山用意されてゐることか。
即刻に這裡に、その輝かしいものが現前する。
どうしてそれを見ないのか。
人間は何時だとて、仰ぐべき本尊を心に持つがよい。
物にも持つがよい。
上は釈迦牟尼佛から、下は1枚の布、1個の壺でもよい。
もろ手を打つて、讃ふべきものを持つことが出来れば、生活は輝く。
何故なら、人間は之で謙譲や、反省や、精進や、清浄や、
もろもろの徳に交はる縁と、固く結ばれるに至るからである。
終わり
(抜粋部分は原文そのままに掲載いたしました。)
冊子の扉部分に掲載された柳宗悦氏の筆と、私版本「心偈」よりの抜粋文です。
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「ほれぼれと見守るものを、いつも目前に見るがよい。
幸これに如くものはない。
「モロ手」は両手である。
なぜ両手を打つて悦ばないのか。驚嘆しないのか。
考へると、讃ふべき光景が、如何に吾々のために、沢山用意されてゐることか。
即刻に這裡に、その輝かしいものが現前する。
どうしてそれを見ないのか。
人間は何時だとて、仰ぐべき本尊を心に持つがよい。
物にも持つがよい。
上は釈迦牟尼佛から、下は1枚の布、1個の壺でもよい。
もろ手を打つて、讃ふべきものを持つことが出来れば、生活は輝く。
何故なら、人間は之で謙譲や、反省や、精進や、清浄や、
もろもろの徳に交はる縁と、固く結ばれるに至るからである。
終わり
(抜粋部分は原文そのままに掲載いたしました。)